シンクロ
前記事からの続きです
次のセックスの組み合わせはS様とU子様だった。
裸になった私たち(私はガーターベルトとストッキングだけ)がソファに戻ると、S様とU子様は自然にベッドのほうに行き、いかにも慣れた夫婦のセックスという感じで、自然に前戯を始めた。
私たちのときと違って二人は濃厚なキスから始めた、そして、その間にU子様ののブラとパンティはS様によって巧妙に脱がされた。
くるりとS様がU子様の脇に寝そべると、U子様はこれも、あうんの呼吸で起き上りS様の上に跨って、そのまま自分から挿入した。
そうしてU子様はゆっくりと自分から腰を動かし始めた。
私の側から、S様のそそり立つもの、それにU子様が跨がるようす、そして跨ってからも腰を動かすたびにU子様の腰から出入りするようすが見えていた。
以前の私なら、そして普通の状態の私なら、気も狂わんばかりの情景だったろう。
しかし先ほどのセックスでほとんど腑抜けになった状態の私は、それを遠い出来事のよう見ていた。
というより、私にとって、それは既視感のある、懐しい光景になっていた。
もうずっと私は、S様とU子様がセックスするシーンをビデオで私自身の調教のために見せられていた。
ビデオは10本ほどあり、いろいろな体位があって、その中にはU子様が縛られたものもあった。
そして今日の騎乗位でのセックスもその中にあった。
U子様の腰の動きがだんだん激しくなり、そしてS様も腰を使いはじめた。
U子様が快楽の声をあげはじめた。
それはなつかしい声だった。
その声を私はほとんど隅から隅まで知っていた。
漏れ聞こえる言葉の断片もすべて私の知るものだった。
何度も何度もビデオで聞いた声だ。
しかしそれだけではなかった。
U子様はほとんど私と同じ声をあげていた。
同じ息づかい。
同じ嬌声。
同じしゃくり上げ。
同じ甘え声。
どれをとってもおなじ単語。
「ああ、感じる」「そこ、そこ、そこ」「もっと、お願い、もっと」「ああ、大きい」「突いて、突いて」「いい! いい!」「ああ、奥まで」「ああ、すごいすごい」「ああ、U子、もうだめ」「イキそう、イキそう」...
それに気がついたとき、そして、それがなぜか理解したとき、胴がふるふると震えるほどのショックを受けた。
G様によって、私は、何度も何度も、そのビデオを見ながら、という聞きながら、イクように訓練されていた。
自分の恋人だった女性が自分を寝取った男とセックスしているシーンを見せられるだけでなく、彼女がその男の手によってイカされる声を耳にしながら、それに合せて女としてイカされるような残酷な調教を私は受けた。
G様のものを受けいれながら、何度も何度もビデオを聞かされたので、1本につき、その先がどんな声がするか覚えてしまったほどである。
そういえば私が一人でじゅうぶんに同じようなよがり声をあげてイクようになって、年明けからビデオは使われなくなっていた。
G様とのセックスで一人で存分に歓びながら、私はもう、そのビデオの辛い記憶を心の中に抑圧していた。
U子様が私と同じ声をあげているのではなく、私がU子様と同じ声をあげさせられていたのだ。
U子が、私のセックスのときにはあげることはなかったその声、S様によってしこまれたその声を、私は同じようにしこまれていた。
一瞬のうちに私はそれを理解し、そして、U子様の声を聞き続けた。
私の息遣いはU子様の息遣いにシンクロした。
なつかしいビデオの訓練のときの感覚がもどってきた。
私はU子様の一声ごとに、彼女の快楽、彼女の感覚を自分の胸と腹に感じた。
いや、S様によって彼女に与えられている快楽と感覚を感じた。
S様がU子様を突き上げる力を感じた。
眼をつぶって、彼女の声を聞きながら、それに酔い、彼女といっしょに翻弄され、彼女といっしょに頭の中で果てた。
自分が、心の底から女性化してしまったこと、そして体の芯の芯までS様に完全に敗北していることを私はそこで改めて自覚した。
私はかつての恋人が、自分から彼女を寝とった男とセックスしているシーンを前にして、誰に言われるまでもなく、その男の代りに彼女を犯すことではなく、彼女の代りに自分がその男に犯されることを思い描き、それに酔う人間になっていた。
次のセックスの組み合わせはS様とU子様だった。
裸になった私たち(私はガーターベルトとストッキングだけ)がソファに戻ると、S様とU子様は自然にベッドのほうに行き、いかにも慣れた夫婦のセックスという感じで、自然に前戯を始めた。
私たちのときと違って二人は濃厚なキスから始めた、そして、その間にU子様ののブラとパンティはS様によって巧妙に脱がされた。
くるりとS様がU子様の脇に寝そべると、U子様はこれも、あうんの呼吸で起き上りS様の上に跨って、そのまま自分から挿入した。
そうしてU子様はゆっくりと自分から腰を動かし始めた。
私の側から、S様のそそり立つもの、それにU子様が跨がるようす、そして跨ってからも腰を動かすたびにU子様の腰から出入りするようすが見えていた。
以前の私なら、そして普通の状態の私なら、気も狂わんばかりの情景だったろう。
しかし先ほどのセックスでほとんど腑抜けになった状態の私は、それを遠い出来事のよう見ていた。
というより、私にとって、それは既視感のある、懐しい光景になっていた。
もうずっと私は、S様とU子様がセックスするシーンをビデオで私自身の調教のために見せられていた。
ビデオは10本ほどあり、いろいろな体位があって、その中にはU子様が縛られたものもあった。
そして今日の騎乗位でのセックスもその中にあった。
U子様の腰の動きがだんだん激しくなり、そしてS様も腰を使いはじめた。
U子様が快楽の声をあげはじめた。
それはなつかしい声だった。
その声を私はほとんど隅から隅まで知っていた。
漏れ聞こえる言葉の断片もすべて私の知るものだった。
何度も何度もビデオで聞いた声だ。
しかしそれだけではなかった。
U子様はほとんど私と同じ声をあげていた。
同じ息づかい。
同じ嬌声。
同じしゃくり上げ。
同じ甘え声。
どれをとってもおなじ単語。
「ああ、感じる」「そこ、そこ、そこ」「もっと、お願い、もっと」「ああ、大きい」「突いて、突いて」「いい! いい!」「ああ、奥まで」「ああ、すごいすごい」「ああ、U子、もうだめ」「イキそう、イキそう」...
それに気がついたとき、そして、それがなぜか理解したとき、胴がふるふると震えるほどのショックを受けた。
G様によって、私は、何度も何度も、そのビデオを見ながら、という聞きながら、イクように訓練されていた。
自分の恋人だった女性が自分を寝取った男とセックスしているシーンを見せられるだけでなく、彼女がその男の手によってイカされる声を耳にしながら、それに合せて女としてイカされるような残酷な調教を私は受けた。
G様のものを受けいれながら、何度も何度もビデオを聞かされたので、1本につき、その先がどんな声がするか覚えてしまったほどである。
そういえば私が一人でじゅうぶんに同じようなよがり声をあげてイクようになって、年明けからビデオは使われなくなっていた。
G様とのセックスで一人で存分に歓びながら、私はもう、そのビデオの辛い記憶を心の中に抑圧していた。
U子様が私と同じ声をあげているのではなく、私がU子様と同じ声をあげさせられていたのだ。
U子が、私のセックスのときにはあげることはなかったその声、S様によってしこまれたその声を、私は同じようにしこまれていた。
一瞬のうちに私はそれを理解し、そして、U子様の声を聞き続けた。
私の息遣いはU子様の息遣いにシンクロした。
なつかしいビデオの訓練のときの感覚がもどってきた。
私はU子様の一声ごとに、彼女の快楽、彼女の感覚を自分の胸と腹に感じた。
いや、S様によって彼女に与えられている快楽と感覚を感じた。
S様がU子様を突き上げる力を感じた。
眼をつぶって、彼女の声を聞きながら、それに酔い、彼女といっしょに翻弄され、彼女といっしょに頭の中で果てた。
自分が、心の底から女性化してしまったこと、そして体の芯の芯までS様に完全に敗北していることを私はそこで改めて自覚した。
私はかつての恋人が、自分から彼女を寝とった男とセックスしているシーンを前にして、誰に言われるまでもなく、その男の代りに彼女を犯すことではなく、彼女の代りに自分がその男に犯されることを思い描き、それに酔う人間になっていた。