「幸せですか?」
昨日道が混んでいて、思ったよりも時間がかかったので、家に着いたら二人ともくたくたで、爆睡。
小さな記事が一つくらい書けるかなと思ったけど、コメントにお返事を書いたところで力つきました。
ぐっすり眠りました。
気分も爽快です。
いい天気!
実は二人とも早朝に目がさめて、短時間集中ですが、一回しちゃいました ^^;
それからもう一回ちょっと寝て。
朝ごはん食べて、今は洗濯機が働いています。
ブログコメントをまたまたいただいてました。
記事に2件と、拍手コメントというのを1件。
みんな応援してくださるコメントばかりで、こんなふうにどんどんコメント貰えるようになるとうれしいな。
それにコメントの中には、記事で書きたいなと思っていたことといくつかの点で重なることもあって、グッタイミングだったりします。
「幸せですか?」
ひろこさんのコメントの「幸せですか?」というタイトルと優しい励ましの言葉を見て、胸がキュンとなりました。
この「幸せですか?」っていう問いって、ひろこさんみたいい優しい人だけじゃなくって、意地悪な人からも、それで幸せなの? それでいいの? みたいな感じで投げかけられることもたぶんこれからあると思います。
それに対して、ゆきは、はっきり
「幸せです。」
と答えられるように今はなったと思います。
特にブログを始めて、こうやって考えをはっきり整理するようになってから、自分でもはっきりと自覚できるようになってきた。
無理してるって思う人がいるかもしれません。
たしかに最初は、そう思わないとやっていけない、という強がりの側面があったかもしれないけど、今は違う。
人の幸せっていろいろで、もちろん、別の人生を歩んで、幸せですか?と聞かれて、それはそれで、「幸せです」と答えたかもしれない。
会社の中で男として一生懸命仕事して、周りからも認められていた。
めいっぱい出世できたかもしれない。
仕事は面白かったから、少ない睡眠時間と不規則な生活で、体がぼろぼろになっても、「幸せですか?」と聞かれて、たぶん「好きな仕事ができて幸せですよ」と答えていたと思う。
それはそれで一つの幸せですよね。
でも、私はその人生もほとんど味わったから、比べることができる。
はっきり言って、今のほうが幸せ。
どっちが幸せかという判断基準があるとしたら、まず、もう戻りたいと思わないことが決定的。
それって現状を変えたくないという私の怠惰な気持からかもしれないけど。
でも、今目の前に二つ道があって、どっちを選ぶといえば、やっぱりこっちを選ぶ。
幸せの要素はいろいろある。
もちろん正直言って、セックスのことはすごく大きい。
毎晩とは言わないけど、週の大半、無我夢中の絶頂の歓びをもらって、特にイッた後、ほんとに幸せだなあとしみじみと思う時間が訪れる。
そしてもちろん、そのときの歓びだけじゃなくて、それがもっとソフトに頭と体にまわってるというのかな、イクときだけじゃなくて、抱き抱えられたり、特にキスされたり、フェラチオしたりそんなときに、精神的に満たされた気持が体をつつみこむ。
この幸せは、ぜったいに、男のときには想像できなかったもの。
セックスだけではないですよ。
もちろん。
満たされた幸せ感は、ご飯が上手にできたときとか、今日みたいに天気がよくて洗濯にいいなあと思って今みたいに洗濯機をぶんぶん回している瞬間にも訪れるのです。
でもこれってやっぱりセックスから来てるのかなあ。
違うとは言いきれないですよね。
家事からセックスまで同じものが繋ってる感じ。
別に直接のごほうびではないんですが、じょうずに家事してることが、抱かれる歓びを味わってる生活の印みたいなところがある。
実は、なんと言っも、セックスのことを考えるのは、ゆったりと家事してるときなんですね。
だからそのときのプラグ装着が好きなんだなと今自分でも分かりました。
もちろん不安はある。
一番大きいのは、自分の幸せって、基本的にはぜんぶG様によっかかっているんじゃないかなかと思うとき。
いつまでも私のことをこんなふうにかまってくれるのかなあという疑問が頭をもたげる時。
でも今はG様のことを信じるしかない。
小さな日常の不安ももちろんいっぱいあって、例えば目の前のことだけど、木曜日には朝からフルに女性の格好で仕事に行かなければならないことがある。
これは小さなというより中くらいの不安でも。
乗り越えなければいけないけどいろいろ大変。
これもいろいろ悩みを書きたいけど、また、別に。
そしてそれよりも不安としてのしかかっているのは、家族のこと。
拍手コメントをいただいた方から「今は幸せ? かもしれないけどご家族にカミングアウトが難しいのかな?」
とずばりと指摘してあった。
このまま行けばいつかはそうしなければいけないのは確実だから、これはかなり葛藤の部分。
葛藤と言っても、もう選択の余地はないところまで来ているんですけどね。
家族関係の悩みも、続けて書こうとしたら長くなりかけてきたので、別記事に。
でもこういったことって今の幸せを手に入れるために、自分が努力しなければならない部分だと思うことにしている。
幸せってほんと何が幸せから分からないですよね。
しょうがないから今、確実に幸せと思えるということを信じるしかないのかな。
そしてそれははたからは分からない。
大学時代のすごく親しかった同級生の女性(男女関係ではないけど、何でも話せるどっちかというと兄弟姉妹みたいなやつ)が、すごく優秀で、大学院出てそのままその専門を生かしてキャリアウーマンまっしぐらだったのが、これからというときに、2年前にすっぱり仕事をやめて、割に平凡な結婚をして、そのあと派遣で、私から見るとなんで?というようなつまらない職種で働くようになった。
そのとき、何度ももったいないと思った。
ため口の聞ける相手だったから、去年、同期が集ったときに、なんで? というのが、ちょっと責めるような口調になった。
笑いながらごまかしてたけど、私がちょっとしつこかったから、最後には、ちょっといらついた感じで、ちょろっと「男には分かんないと思うよ、やっぱり」って言われた。
今はその気持がすごくよく分かる。
馬鹿な質問したなと思う。
私も彼女も学生時代には政治的にはどちらかというと左よりで、フェミニストとまではいかないけど、よくお酒飲んで、「女の幸せって結婚だけじゃないでしょ」「負け犬みたな言い方ってむかつく」みたいな会話をよくしてた。
今からふりかえると皮肉なものだと思う。
ちゃんと今の人生歩めたら、一度、彼女とゆっくり話したい気もする。
「あの時はごめん」って謝りながら。
小さな記事が一つくらい書けるかなと思ったけど、コメントにお返事を書いたところで力つきました。
ぐっすり眠りました。
気分も爽快です。
いい天気!
実は二人とも早朝に目がさめて、短時間集中ですが、一回しちゃいました ^^;
それからもう一回ちょっと寝て。
朝ごはん食べて、今は洗濯機が働いています。
ブログコメントをまたまたいただいてました。
記事に2件と、拍手コメントというのを1件。
みんな応援してくださるコメントばかりで、こんなふうにどんどんコメント貰えるようになるとうれしいな。
それにコメントの中には、記事で書きたいなと思っていたことといくつかの点で重なることもあって、グッタイミングだったりします。
「幸せですか?」
ひろこさんのコメントの「幸せですか?」というタイトルと優しい励ましの言葉を見て、胸がキュンとなりました。
この「幸せですか?」っていう問いって、ひろこさんみたいい優しい人だけじゃなくって、意地悪な人からも、それで幸せなの? それでいいの? みたいな感じで投げかけられることもたぶんこれからあると思います。
それに対して、ゆきは、はっきり
「幸せです。」
と答えられるように今はなったと思います。
特にブログを始めて、こうやって考えをはっきり整理するようになってから、自分でもはっきりと自覚できるようになってきた。
無理してるって思う人がいるかもしれません。
たしかに最初は、そう思わないとやっていけない、という強がりの側面があったかもしれないけど、今は違う。
人の幸せっていろいろで、もちろん、別の人生を歩んで、幸せですか?と聞かれて、それはそれで、「幸せです」と答えたかもしれない。
会社の中で男として一生懸命仕事して、周りからも認められていた。
めいっぱい出世できたかもしれない。
仕事は面白かったから、少ない睡眠時間と不規則な生活で、体がぼろぼろになっても、「幸せですか?」と聞かれて、たぶん「好きな仕事ができて幸せですよ」と答えていたと思う。
それはそれで一つの幸せですよね。
でも、私はその人生もほとんど味わったから、比べることができる。
はっきり言って、今のほうが幸せ。
どっちが幸せかという判断基準があるとしたら、まず、もう戻りたいと思わないことが決定的。
それって現状を変えたくないという私の怠惰な気持からかもしれないけど。
でも、今目の前に二つ道があって、どっちを選ぶといえば、やっぱりこっちを選ぶ。
幸せの要素はいろいろある。
もちろん正直言って、セックスのことはすごく大きい。
毎晩とは言わないけど、週の大半、無我夢中の絶頂の歓びをもらって、特にイッた後、ほんとに幸せだなあとしみじみと思う時間が訪れる。
そしてもちろん、そのときの歓びだけじゃなくて、それがもっとソフトに頭と体にまわってるというのかな、イクときだけじゃなくて、抱き抱えられたり、特にキスされたり、フェラチオしたりそんなときに、精神的に満たされた気持が体をつつみこむ。
この幸せは、ぜったいに、男のときには想像できなかったもの。
セックスだけではないですよ。
もちろん。
満たされた幸せ感は、ご飯が上手にできたときとか、今日みたいに天気がよくて洗濯にいいなあと思って今みたいに洗濯機をぶんぶん回している瞬間にも訪れるのです。
でもこれってやっぱりセックスから来てるのかなあ。
違うとは言いきれないですよね。
家事からセックスまで同じものが繋ってる感じ。
別に直接のごほうびではないんですが、じょうずに家事してることが、抱かれる歓びを味わってる生活の印みたいなところがある。
実は、なんと言っも、セックスのことを考えるのは、ゆったりと家事してるときなんですね。
だからそのときのプラグ装着が好きなんだなと今自分でも分かりました。
もちろん不安はある。
一番大きいのは、自分の幸せって、基本的にはぜんぶG様によっかかっているんじゃないかなかと思うとき。
いつまでも私のことをこんなふうにかまってくれるのかなあという疑問が頭をもたげる時。
でも今はG様のことを信じるしかない。
小さな日常の不安ももちろんいっぱいあって、例えば目の前のことだけど、木曜日には朝からフルに女性の格好で仕事に行かなければならないことがある。
これは小さなというより中くらいの不安でも。
乗り越えなければいけないけどいろいろ大変。
これもいろいろ悩みを書きたいけど、また、別に。
そしてそれよりも不安としてのしかかっているのは、家族のこと。
拍手コメントをいただいた方から「今は幸せ? かもしれないけどご家族にカミングアウトが難しいのかな?」
とずばりと指摘してあった。
このまま行けばいつかはそうしなければいけないのは確実だから、これはかなり葛藤の部分。
葛藤と言っても、もう選択の余地はないところまで来ているんですけどね。
家族関係の悩みも、続けて書こうとしたら長くなりかけてきたので、別記事に。
でもこういったことって今の幸せを手に入れるために、自分が努力しなければならない部分だと思うことにしている。
幸せってほんと何が幸せから分からないですよね。
しょうがないから今、確実に幸せと思えるということを信じるしかないのかな。
そしてそれははたからは分からない。
大学時代のすごく親しかった同級生の女性(男女関係ではないけど、何でも話せるどっちかというと兄弟姉妹みたいなやつ)が、すごく優秀で、大学院出てそのままその専門を生かしてキャリアウーマンまっしぐらだったのが、これからというときに、2年前にすっぱり仕事をやめて、割に平凡な結婚をして、そのあと派遣で、私から見るとなんで?というようなつまらない職種で働くようになった。
そのとき、何度ももったいないと思った。
ため口の聞ける相手だったから、去年、同期が集ったときに、なんで? というのが、ちょっと責めるような口調になった。
笑いながらごまかしてたけど、私がちょっとしつこかったから、最後には、ちょっといらついた感じで、ちょろっと「男には分かんないと思うよ、やっぱり」って言われた。
今はその気持がすごくよく分かる。
馬鹿な質問したなと思う。
私も彼女も学生時代には政治的にはどちらかというと左よりで、フェミニストとまではいかないけど、よくお酒飲んで、「女の幸せって結婚だけじゃないでしょ」「負け犬みたな言い方ってむかつく」みたいな会話をよくしてた。
今からふりかえると皮肉なものだと思う。
ちゃんと今の人生歩めたら、一度、彼女とゆっくり話したい気もする。
「あの時はごめん」って謝りながら。